高山連天の取材記事


福島県建設業協会の広報誌に1988年に掲載された高山連天の「カエル コレクション」の記事を紹介します

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カエル コレクション

新緑が、一段と目に鮮やかな季節、早苗も順調な生育を示し、人々の心にも明るさが漂ってくる。冬眠から覚めた動物達も活動を始める。
 6月1日の午後、福建協喜多方支部の高山連天氏をお訪ねした。
 人、それぞれに主義、信条を持ち、また余暇の過し方、趣味、コレクション等様々に異なった考えで打ち込んでいるが、今回は高山さんのコレクションについて、そのユニークさを取材することにした。
 氏のコレクションは、蛙の置物、飾物の収集である。自宅の玄関、応接間、居間と所狭しと、大中小、国産・外国産(表現は適切ではないが)と取り混ぜて、ある物は陳列棚に、そしてある物はテーブル上に無造作に並べられている。折を見て、秩序正しく飾りたいと話しているが本人自身も、数が幾らになっているかは明確につかんでいない様子で、おそらく千数百匹にはなるだろうとの事。
 もともとは、氏の実父(先代社長高山弥一氏)が始めたコレクションで、勿論中には相当の年代の物も含まれているが、父親のこうしたコレクションを見ながら成長した氏は、何時の頃からともなく、父親と同じようにカエル・コレクションに取り組んでいたのである。
 カエルが何時頃地球上に姿を現したのかは定かでないが、元来は温暖な地方が原産地であったらしく、その後全世界に広く分布していったようである。そして、この地球が地殻変動を起こして大陸分割が終ると、寒冷地にも取り残される事となった。
 生物は進化を続け、適応力を発揮する。カエルも両棲類として、冬眠する事によって寒冷地でも生命を維持できるようになったものであろう。だから、各地で古代から親しまれ、場合によっては崇められ、多くの逸話を誕生させている。猿田彦の案内役としてのカエルは神秘的であり、蛇、ナメクジとの三すくみ、ガマの油売り等滑稽とさえ思える物もある。
 先の大戦時、出征兵士が氏の元を訪れ、無事に帰れるようにとカエルをもらいにくる、また身内がもらいにくると、喜んでくれてやる、といった思い出もあって、いささかでも人様のお役に立ったと思うと、コレクションも捨てたものではないと更に精を出して集めたりする。
 カエルの世界も、お国柄によって姿・形が異なれば、置物を作る素材も様々で、果てはエピソードまでも豊富になってくる。
 氏のコレクションの話を知る友人達が外国旅行に出掛けると、必ずと言ってカエルの土産を届けてくれるという。
 鉄製の三本足の置物があった。これは中国のもので幸福を呼ぶカエルだそうである。石製、陶器製、木製と、また模様も色々あって変化に富み、表情も親子連れ、恋人、葉の上にいるもの、枝にぶら下がるもの、笛を吹くもの、考えるもの、ひょうきんなもの、いかついもの、更には掛軸、短冊、茶托、菓子器、灰皿等に至るまでカエルの模様、デザインが入っているのである。
 訪問して、色々と話を伺っているうちに宅急便が届けられた。早速、荷を解いて見ると、陶器製のカエル2体であった。奥さんが先日京都旅行をした際に求めたものだそうで、そのうちの1体は2匹の子供を背負ったもので、貫禄と母の優しさを感じさせるものであった。
 と申せば、奥さんを始め子供さん達の理解と協力がなかったなら、コレクションも長続きはしないだろうし、時には陽の目も見ずに蔵の中に入ったままになってしまうだろう。
 カエル・コレクションを通じ、夫婦、親子の結束が目に見えるようであり、また従業員あるいは関係者に対する思いやりが伝わってくるようで、ほのぼのと暖かさがにじみ出てくる。
 何事もあせらず急がず、ボツボツと地道に頑張って行くと話す氏は、過去の苦難を乗り越え蘇ガエり、将来の夢を子息に託してコレクションを続けることだろう。